ハリー・ポッター、そして千と千尋 two Harry Potter 2003 5 6
イギリスと日本、
同じような時期に、同じような不思議な世界を構想したのは、実に不思議だ。
ハリー・ポッターの世界、これは霊界では、魔法界という。
千と千尋の世界、これは霊界では、妖精と仙人界という。
入り口は違っているように見えても、それは、
不思議だけれども楽しい霊的世界を、
一方は西洋的に表現し、一方は東洋的に表現しているだけです。
魔法も仙術も、同じ霊的能力です。
実に不思議で、おもしろい世界でしょう。
しかし、映画で描かれている霊界は、実在の霊界の一部分に過ぎない。
もっと大きな霊界がある。
そこには、大政治家の村もあれば、偉大な哲学者の村、光り輝く芸術家の村、
文明の進歩をになう科学者の村、そして精神的支柱の宗教家の村がある。
しかし、あまりに霊的なものに、関心が集中してしまうのも問題がある。
人間がこの世に生まれてきたのは、学ぶためである。
学び、そして経験する。
その経験が、知識を知恵へと変える。
これが人生の王道である。
しかし、いつも学ぶだけでは、あきるでしょうし、疲れるでしょうから、
時には気分転換も必要となる。
その時、霊的世界に関心を持つのも楽しいでしょう。
ハリー・ポッターでも、勉強をしているシーンがあると抗議するのか。
あれは勉強には違いないが、魔法の勉強であって、主流の勉強ではない。
確かに霊能力の勉強はある。魔法の勉強がある。
しかし、それは、学校で言えば、体育の授業のようなものです。
学校で、1日中、体育の授業をやっていますか。
確かに体育大学に入れば、1日中、体育の授業をやっているが、それは例外でしょう。
霊界の学校も、この世の高等学校の時間割と実に似ている。
だから、この世の学校で勉強をサボると、
あの世の学校も同じようなことをやっているので、
あの世の学校の時間割が実にきびしくなり、まるでスパルタ教育のようになる。
だから、この世の学校で、よく勉強をしておいた方が、結局、楽になる。
これは、子供の夏休みの宿題とまったく同じです。
夏休みの初めから少しずつ、宿題というものはやっておくべきで、
やらないとどうなるか。夏の終わりの悲劇を経験した学生なら、よくわかるでしょう。
この世では、昼の後に夜が来て、学校から家に帰るが、
あの世には夜はない。すると、どうなるか。
日が暮れたから、家に帰れるということはない。いつも昼間なのです。
これで、日が暮れるのを心配せずに、勉強に専念できるというものです。
この世で勉強するか、あの世で勉強するか、人間は選択しなければならない。
あの世の学校で勉強する方がゆとり教育になる。
なにしろ、夜がないので、無制限に勉強時間があるので、
わからないところがあれば、無制限に繰り返し学習することになる。
だから、人生を享楽的に過ごしてしまった人は、下手に死ねない。
それゆえ、不老不死の薬を探すことになるが、それは無駄な労力になる。
あの世で、まるで鬼のように見える教師が、あなたを待っている。
これを宗教家たちは、最後の審判と呼ぶが、
霊界の教育者たちは、単に学校のクラス分けをしているにすぎない。